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古代漢語(紀元前15世紀ごろ – 2世紀ごろ)

1899年に発見された漢字の原形とされる甲骨文字が使われていた。

文法的に重要な役割を果たしていた接辞や不変化詞による修飾語の形成があったが、後期になると衰え始めた。

3人称の代名詞に格があった。今でも一部が広東語に残っている。

この頃の文献としては、諸子百家にまつわる書が残っている。

声母(頭子音)に複子音 sl-, pl-, kl-(例: 「監」*klam)などが存在した。

韵母の尾子音は豊富だった(例:「二」 *gnis)。

語順はタイ語的な完全なSVO型だった。(例: 呉 敗 越 于夫椒「呉は夫椒で越を破った。」 S-V-O-Adv ⇔ 現代語: 呉軍 在夫椒 把越軍 打敗了。 S-Adv-O-V) (橋本、1978)

殷まではタイ語的な名詞-形容詞の語順および普通名詞-固有名詞の語順だった。(例: 殷の帝辛 ⇔ 周の武王) (橋本、1978)

 

中期漢語(3世紀ごろ – 1920年)

秦の全国統一によって、中原の言語が各地に伝播した。

2音節の熟語、動詞・名詞の範疇が発達した。

動詞の活用が消滅し始め、孤立語的な特徴を帯びるようになる。

当時、東・東南アジアにおける「国際語」的な地位になっていた。

李白・杜甫・韓愈など偉大な詩人・文人を輩出した。

漢字の字体が統一され、規範的な字書が作られた。また、科挙試験によって、発音、字体、文法など、規範的な言語の使用が促進された。

 

現代漢語

都のあった北京の言葉を中心に中国語の統一がさらに進んだ。

1911年に「官話」から「國語」に呼称が変わった。台湾ではその名が今でも受け継がれているが、中国本土ではその後中国共産党が北京方言を簡略化したものを採用し、「普通話」と再び名を改めた (Columbia University Press, 2004)。

1917年に、胡適を中心として書き言葉を「文語体」(文言文)から「口語体」へ変えようとする動き(白話運動)が広がり、文学革命が起こった。陳独秀の『新青年』や魯迅の『阿Q正伝』が有名。

1919年の五・四運動で、民族意識が高まり、中国標準語の普及に一層拍車がかかった。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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